【症例報告】
急な腰痛で動けない…Hさまの事例に学ぶ
「間違ったセルフケア」と「受診の目安」
急に腰に激痛が走り、一歩も動けなくなってしまった経験はありませんか?「腰痛は温めれば治る」という一般的な常識を信じて行ったセルフケアが、実は症状をさらに悪化させてしまうケースが少なくありません。
今回は、2年ぶりに当院を訪れたHさま(74歳・男性)の事例を通じ、臨床現場の視点から「急性腰痛の正しい初期対応」と「見逃してはいけない危険信号」について解説します。
1. 患者さまの背景:仕事の負担と不意の転倒
今回ご紹介するHさまは、会社役員として第一線で活躍されている74歳の男性です。仕事の内容は「静電塗装作業」という立ち仕事がメインであり、長年にわたり腰に負担がかかりやすい環境にありました。
以前から「腰椎椎間板ヘルニア」の既往があったHさまですが、ここ2年ほどは落ち着いていたため来院は途絶えていました。しかし数日前、自宅でお酒を飲んでいた際に不意に転倒。その直後から腰に異変を感じ、椅子から立ち上がろうとするたびに、腰を突き抜けるような激痛が走るようになってしまったのです。
2. プロの視点:身体が発していた「異常事態」のサイン
来院されたHさまの状態を詳細に観察・検査したところ、単なる筋肉の張りではない、いくつかの重要な客観的事実が確認されました。
- 逃避性跛行(とうひせいはこう): 痛みをかばうために体が傾き、非常にゆっくりとしか歩けない状態でした。
- 髄圧上昇テスト(+): 専門的な検査において、神経の通り道の圧力を高めると痛みが誘発される「陽性」の反応が出ました。これは神経根への圧迫が強く疑われる徴候です。
- 動作時の鋭い響き: 体を回旋(ねじる)させると、腰にピクッと響くような鋭い痛みがありました。
- 下肢の変色: 足首周辺に内出血や循環不全を疑わせる変色が見られました。これは血管系のトラブルや重度の神経圧迫を示唆する「レッドフラッグ(危険信号)」の一つです。
- 強い不安と便秘: Hさま自身、「腸閉塞や脳梗塞、あるいは癌ではないか」と強い不安を抱えておられました。特に「3日間便秘が続いている」という訴えは、医療従事者として決して見過ごせない情報でした。
3. 原因の分析:良かれと思った「温め」が炎症を加速させた
今回の激痛の正体は、既往の「腰椎椎間板ヘルニア」の再燃と、それに伴う神経周辺の「急性炎症」です。
しかし、ここまで症状が悪化した背景には、Hさまが行っていた「間違ったセルフケア」がありました。
なぜ「温めること」が逆効果だったのか
Hさまは痛みを緩和しようと、以下の加温ケアを徹底して行っていました。
- 使い捨てカイロの貼付
- 温シップの使用
- 就寝時の電気毛布の使用
急性期の炎症は、いわば体の中で「火事」が起きている状態です。そこにカイロや電気毛布で熱を加えてしまうのは、火に油を注ぐようなもの。血管が過剰に拡張して炎症物質が蔓延し、痛みと腫れをさらに増幅させてしまったのです。
「便秘」に隠された真の恐ろしさ
重度のヘルニアによって腰の神経が強く圧迫されると、「馬尾症候群(ばびしょうこうぐん)」という、排便や排尿のコントロールを失う緊急事態を招くことがあるからです。
足首の変色も含め、これらは単なる腰痛の枠を超えた「血管系・内臓系疾患」の併発を疑うべき重要な指標となります。
4. 改善へのステップ:今すぐ実践すべき「炎症コントロール」
Hさまには、これ以上の悪化を防ぎ、炎症を鎮めるために以下の2点を徹底して指導しました。
① 徹底した「アイシング」の実施
急性期の炎症には、温めるのではなく「冷やす」ことが唯一の正解です。
- 手順: 氷のうや保冷剤(タオルで1枚包んだもの)を患部にあて、安静にします。
- 時間と頻度: 1回15〜20分を、「2〜3時間おき」、あるいは「痛みが強まった時」に、1日の中で数回繰り返してください。これにより神経の興奮を抑え、血管の過度な拡張を鎮めます。
② 「加温」の完全禁止
炎症が引くまでの間、以下の行為は「厳禁」とお伝えしました。
- 電気毛布の使用中止(就寝中に患部を熱し続けない)
- カイロ、温シップの使用中止
- 長時間の入浴を避ける(シャワー程度に留める)
5. 注意喚起:こんな時はすぐに病院へ
腰痛の中には、整骨院や整体の範囲を超え、即座に専門医による精密検査や緊急手術が必要な「レッドフラッグ(危険信号)」が存在します。
もし、腰痛と共に以下のような症状が一つでも現れた場合は、迷わず整形外科や救急外来を受診してください。
- 排尿・排便の異常: おしっこが出にくい、便秘が何日も続く、便意・尿意がわからない。
- 下肢の麻痺: 足に力が入らない、スリッパが脱げてしまう、感覚が全くない。
- 激しい腹痛: 腰だけでなく、お腹にも差し込むような痛みがある。
- 血管の異常: 足の色が明らかに変わっている、拍動を感じない、冷や汗が止まらない。
6. まとめ
「腰痛=温める」という思い込みは、急性期においては非常に危険な判断となり得ます。Hさまの事例が示す通り、不適切な加温は炎症を悪化させ、回復を遅らせる最大の原因になります。
急な激痛に襲われた際は、まずは「冷やす(アイシング)」こと。そして、排便異常や足の変色など、腰以外のサインにも目を向けてください。自己判断で様子を見すぎず、少しでも「おかしい」と感じたら、すぐに専門家の扉を叩く勇気を持ってください。
